強いのには理由がある
来る前は若干田舎をなめていたのですが、働きだしてからは松本の若手の次元を超えた優秀さにビビってます。
俺より強い奴に会いに行く、というのはスト2の有名なコピーですが、地方移住での仕事にこんな要素があれば地方移住はもっと良くできると感じましたです。
僕としては地元やゆかりはなくても自分より強い奴(自分には出来ない事を圧倒的成果をあげている人)に会えるならそれは十分な報酬とも言える訳で。
地方だからと言って報酬の傾斜とか実はナンセンスで、そもそも東京が少なからずおかしいみたいな視点だってあって良いはずかなと思います。
地方だから、というのは何だかズレる話でプロフェッショナルワークに対する卑下に近い感じがしています。
プロフェッショナルの仕事はどこでどんな役割をしていようが、変わらない。そんなあたりに世の中の制度なども変わっていく必要があるのだろうなと思われます。田舎もとい松本に来て感じたQOL
毎度。朝晩はまじで寒い松本からお届けします。
こっち来て総論としてQOLは高まってる訳ですが、会社の人についても見聞きする事が多くてその辺りから田舎の働き方について少し書いてみます。
まず、労働時間の総量は圧倒的に少ない。
これは働いていないというよりも、家庭を大事にする会社の方針もあるかもだけど、軒並み18時には仕事が終わる為に皆頭を使っている感じ。
そこから飲みに行くこともあるけど、基本は家で家族と飯を食べる、こんなペースみたい。だからなのか、働いている人の表情も基本明るい。
それと、若いうちから家庭を持っている人が多いからか、若い人が東京との相対感でもかなり優秀。そして、学ぶ事に貪欲で一緒に仕事しやすい。
この辺りは田舎イコール仕事出来ないなんてことは全くなく、寧ろ都会で無意味に残業代稼ごうとする人らの方が未来的に怪しいなと感じる。
そんな訳で僕もやる事なくてインプット増やしてまする。
そして早寝早起き続きで、飲み屋も閉まるのでこれはこれで良いのだろうななんて思う次第です。
過去との付き合い方
早速田舎の洗礼バチバチくらってパンチドランカー状態の僕です。
うーん、やはり想像以上に商慣習やら思考回路に違いがあるなと感じます。あと、チャリは歩道の舗装が全くなってないので、夜はかなり不安を感じます。
ところで、掲題の件は色々引越しの手続きやら入社手続きするなかで東京と言うか、競争がある中での人とそうでない人の違いみたいな形で気づいた。
やはり、田舎は想像以上に過去の慣習や事例を気にする。
そこに当てはまらないと即除外。これマジで海外展開とかインバウンド観光に対してはネガテイブだと思う。
とは言え、東京から何もわかってねーやつがウダウダプロモーションするのも違うと思うけど。
と言うことで、こうした価値観には迎合はしませんが、少しずつ最適解を都度模索していくのが良かろうかと思います。
悲しみや喜びというのはいっぺんにくるもんだ
どうも、いきなり来月から田舎暮らしで免許なしというハードモードが待っている僕です。
今の会社は在籍期間はとても短かったのですが、色々な方に大事にして貰えていたのだなと最後の最後で感じ、ここ数年泣いた事などなかった僕が何故か帰宅後涙という謎展開を見せたのでした。
悲喜交々とはよく言ったもんで、別れの悲しみと共に、在籍中は気付いていなかった自分の価値を信じてくれていた方がいた事の喜びみたいなものに直面しました。
僕は不器用で、ストレートしか投げられないポンコツピッチャーなのですが、世の中というのはもっと裾野が広くて多様な変化球がある中でも応援してくれた人がいたと言うのは何よりの成果であり報酬だと感じています。
これまでもそうした人に報いたいと言うのが原理原則でしたが、またそうした人を増やしてしまったみたい(笑)
場所も変わり、染まって行ったり流されたりしながら自分の原理原則を見直したいと思います。
これからも読んでくださっている方は応援しています。
少しだけでも応援してください!
メディアというのは馬鹿と阿呆のものなのか?
昔から浮かれた人が大嫌いな僕です。
掲題の件はやはり、うーむと考える事が多く未だに悩ましいところです。
結局のところ、古今東西メディアというのは「数の論理」で語られやすく質に焦点が向きにくいという特徴があるのだと思います。メディアのマネタイズというのは広告が殆どであり、そうすると「人が沢山集まってくる場所」に最大の価値がという世界観になりやすいのであります。
そして肝心の内容も最小公約数を取りやすい「面白い」コンテンツに傾倒し、本質的な議論や学びの機会を奪うものが溢れるようになる。
その裏で葛藤する編集者やライターという作り手の存在がある一方、昨今のクラウドソーシングの普及でそうした人の価値が曖昧になりつつあるのだろうなと思うのであります。読んでいて不快になることも多いし、何だか怪しい情報ソースを元にしていたり。
自然に人が集まる、一筆入魂な記事というものも存在しているのは確かで、フロントがスカスカのパーの場合そうした人の矜持めいた部分を日々刻々と傷付けながらお金にしているという側面が僕は見逃せないなと思うわけです。
「それがメディアだ!面白くなければテレビじゃない!」とか言うバカな営業は死んでいただきたい、ないしはドヤ顔で闊歩しないで頂きたい、という話でございました。
役割と戦略
最初に言っておくと、人間というのは本来上も下もなく、会社における役職等も役割分担に過ぎないと思っている。
何だか役割に拘る人ってのが一定数居るのだなあと思いました。そういう人に限ってどうにも本質的な議論を避け、下らない方向に議論を進めるものだなと感じました。
成果で昇進等が決まる、というのはまあ最もな話なのだけど、成果の基準が実は玉虫模様の場合は往々にして政治が跋扈しやすい。
そりゃそうだよねということなのですが、基本的に人は思う以上に弱い。そんなに強い人ってあまり居ない。で、政治を受けてしまうのは感情に左右されてしまうのはその弱さに付け込まれることに他ならない。そういう点でも自身の原理原則の普遍性や汎用性は常に厳しい眼で見なければいかんなと。
そんな折、久々に名著を手に取った。
日本軍の敗戦への道程は、戦略グランドデザインからの逸脱とも言えると思っていて、原因は諸般あるけど、大きかったのは横連携の断絶と過度に俗人的な組織体制だったのかなと再発見。
- 作者: 戸部良一,寺本義也,鎌田伸一,杉之尾孝生,村井友秀,野中郁次郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1991/08
- メディア: 文庫
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また、色々な会社で「戦略」という言葉を使うけど、僕の認識では70%が誤った認識をしているなと思うので、本著を熟読頂きたいなと思ったのであります。戦略の要諦は戦わずして勝つことなので、何かを「やる」裏側には「やらない」がないとそれは戦略の体を成していないという事だ。それは「やらないことをやらなければならない局面では撤退する」ことを意味するのではないかなと思うのであります。
基本的に戦略は「それっぽいワード」の中でも髄一のそれっぽさを誇るので猫も杓子も使いたがりますが、誤用は聞く相手によっては「こいつアホだな」と思われてしまうので自戒を込めて気をつけたいところです。
働くと傍楽
何だか不毛な仕事に減耗してすっかり筆不精になってしまった。
ところで掲題の件、学生時代に教えて貰って凄く感銘を受けた言葉。傍を楽にする、それは結局一緒に働く人を楽にする、気持ちよく仕事できるようにする。さらにいえ流れるような仕事をするということだ。
最近凄く違和感のあることが沢山あって共通していたのは自己中心的かつ浅知恵のリーダーもどきがやたら多いということ。先日も書いたけど、 マネジメントスキルと現場のスキルは全然違うという錯誤が今日もどこかで悲劇を招いているのは何とも寂寥感がある。
なんというかマネジメントスキルって上記の傍楽を念頭に置くことがスタートラインな気がしますです。
自分中心でというのは中々に難しいというか、そうなるには永守さんが人の倍働くことにコミットし、実行しているなど余程の卓越性がなければ単なる迷惑な人だと思う。
最近気付かされることは多いが、僕が一部の結構偉いおじさんに評価を受けることがあるとすると、それは事前準備にあって、自覚としてはその場限りの口八丁が苦手というものの克服が結果としてそんな幸運になっている側面もあるのかなと思うのであります。